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佐賀県

06

取材日:2015年9月25日

●多々良焼金子窯

  

〒849-2342

佐賀県武雄市武内町大字真手野32095-1

TEL :095-427-2307

 

【対談・考察】

多々良焼金子窯 叩き窯変 壺

佐賀県武雄市ふるさと納税サイト

🍎林檎

+act 2016年5月号掲載 【金子窯で出会った〝多々良焼の魅力〟】

~愛情込めて叩いて良さが際立つ 自分を鼓舞して行こう!!~

日本の磁器発祥の地、有田。その有田磁器よりも更に古い歴史を持つ陶器の唐津焼。

春馬さんが、画像検索して一目惚れした〝壺〟。それは、唐津焼の流れを汲み、土のぬくもりと力強さをあわせもつ、多々良焼(ただろうやき)の[金子窯]という窯元だった。

佐賀県西部と長崎県北部の隣接地域一帯は、やきもの好きにとっては聖地のような場所。

春馬さんが自らの提案で訪れることになった窯元だけに、気合いの入れようが紙面から伝わる。

金子窯に着くと、三代目職人の金子認さんが〝まあまあ、こちらへ。あなたのために、買っておいたんですよ。〟と、茶菓子とお茶を勧めてくれる。(面白い記事を見つけたので、後ほどそちらで裏話をご覧下さい。)

その菓子を入れた盆や茶器は、いずれも金子窯で焼かれたもので、手にすっと馴染み、実用的でありながら、使っていると心が満たされる「用の美」の味わいがしみじみ。

「用の美」の語源→1926(大正15)年に始まった民芸運動から生まれた言葉。

日常生活の用途に役立ちながら、その姿が自然と美しいことを「用の美」と言うそうです。

さて、本題に戻ります。

多々良焼の特徴は「叩きて(たたきて)」と足で蹴って回す「蹴ろくろ(けろくろ)」とのこと。その土の持つ味を最大限に引き出す技術【叩き技法】

叩きに使う道具にも特徴があり「トキャー」と呼ばれる道具を内側にあてて、「シュレー」と呼ばれるしゃもじ状の道具で外側から叩いて成形していく。そう言うと簡単そうだが、粘土の壁を薄くする作業はかなりの重労働。道具の名称は朝鮮から伝わった当時の呼び名が継承されているとのこと。

さて、春馬さんは、登り窯を覗き、「あ、いる。」と、既に作品を生き物のように扱っている。

因みに登り窯とは、wikipediaには以下のように記されている。

★登り窯(のぼりがま、en:climbing kiln)と現在一般に呼ばれるものは、窯業で陶磁器等を大量に焼成するために、炉内を各間に仕切り、斜面等地形を利用し重力による燃焼ガスの対流を利用して、炉内の各製品を焼成時に一定に高温に保てるよう工夫された窯の形態のことをいう。とのこと。

「作った人とお話をして、その上で作品を買うってすごく贅沢なことですよね。」と春馬さん。「(購入した焼き物を)うちの子とか言い出しそう。」というライターの鷲頭さんのコメントが、春馬さんらしくて可愛らしい。

「あなたと会えて幸せな時間でした。」と認さんに言われる春馬さん。どんなに嬉しかったでしょう。

「職人さんの手を触らせてもらったら、とても柔らかくて優しくて、人柄と同じだと思いました。」と、春馬さん。手を触らせて貰うという発想がすごいと思いました。

「多々良焼の叩き手の技法を後世に伝えるために、代々の技法を復興させたということでしたが、『技法』や『伝統』を伝えるのも゛『人』があってこそなんですよね。」と春馬さん。金子認さんの継承者は長男の晃久さん。継承者がいらして、ほっとしました。

日台友情連結さんのYouTube動画でも『日本製』を扱っていらっしゃいますが、佐賀県の多々良焼の回は、長男の金子晃久さんが、取材に応じて下さいましたね。認さんは、今年85歳ですね。

最後に、裏・日本製にある創業200年余という老舗豆腐店と金子窯のお話は、サイトを覗いてみて下さい。とても、素敵な日本製の旅レポートになっていますよ。

最初のほうで、面白い記事を見つけたといったものも含まれていますよ。是非ご覧くださいね。

このような方々は、既にいらっしゃる訳ですから、コロナ収束の暁には、様々な場所で『日本製』の旅が繰り広げられることでしょう。

今回の春馬さんの『日本製』も春馬さん発案でしたね。三浦家日本製棚のインスタライブでも、力強い表情を見せてくれる陶器と説明してしまいました。お気に入りの〝うちの子たち〟ですね。

一つ一つ、表情も違う手作りの陶器を、日常で使う贅沢。それこそ、愛着を持って物を大切にすることに繋がりますね。

春馬さんが買ったものと同じものを注文する方々が多いそうですよ。残念ながら、まったく同じものにはできないので、似たようなものを送っていらっしゃるようでした。

「出来れば、お店に来て手に取ってみて。」ともお話されています。

是非、こちらもお尋ねしたい場所ですね。

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多々良焼 

🍓strawberry

林檎様、皆様     

多々良焼きの叩き手の技法は代々継承されていで、三代目金子認さんは、高齢でご病気であるようですが、長男の晃久さんが継承者であるということで良かったです。

春馬さんが、画像検索してひと目惚れをした壺を作っているのが金子窯だったのですね。

有名なやきものがたくさんある中で、多々良焼の金子窯を当時25歳の春馬さんが選んだのは凄いです。

「春馬さんは磁器より土物が好きだったのでしょうね。」と日台友情連結のYouTube佐賀県の中で話していますね。

金子認さんが、春馬さんにお茶菓子とお茶を勧める話はほっこりする話ですね。

金子認さんの他に誰もいなかったので、お菓子を探して春馬さんに出すのですが、湿気で固くて食べれらなかったようですね。春馬さんの歯形がついた食べかけの写真を撮ったのですね。(笑)

佐賀新聞Liveに金子窯の金子晃久さんが『日本製』の取材時に、撮影した春馬さんと認さんと晃久さんの三人の写真と春馬さんが購入したコーヒーカップと共に写る写真が掲載された記事がありました。

その中に、春馬さんの歯形のついた食べかけのお菓子と飲みかけのお茶の写真が、ファンの間で話題になっているとありますよ。

いつか、金子窯に行きたいです。春馬さんが、購入したコーヒーカップが欲しくなりました。とても素敵な色合いですね。

春馬さんは、老舗豆腐店かわしまの豆乳、ざる豆腐、厚揚げの豆腐づくしのコースを堪能していましたね。是非、食べたいです。

春馬さん、ここでも料理毎に変わる素敵な唐津焼きの器に釘付けでしたね。

春馬さん、やきものの魅力にはまっていましたね。

唐津焼は、ざっくりとした荒い土を使った素朴な風合いで、多彩な装飾技法が特徴のようです。

お茶や料理や花などを引き立てる器としても人気のようですね。

インスタの料理の器も素敵でしたね。春馬さん、センス良いですね。

春馬さん、やきもの愛にあふれていますね。

金子晃久さんが『日本製』第二弾で春馬さんに陶芸をしてもらいたかったと話していましたね。

ゆっくりと陶芸を楽しませてあげたかったですね。

🍎林檎

strawberry様

春馬さん、25才であの力強い陶器を選ぶなんて、凄い目利きですよね。

歯形のお菓子の写真は、とてもほっこりするエピソードですよね。

良く写真を撮ったなぁと。

奥様に〝そんなものをお出ししてぇ。〟と叱られていた、認さんのエピソードもなんとも微笑ましい。

ファンシーローラさんのブログにも、しっかり春馬さんの歯形の残るお菓子の写真がありましたね。

ファンの間では有名なのですね。

『日本製』でお訪ねした場所には、何かしら裏話がありそうですね。

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出典:三浦春馬&STAFF INFO
+act連載『日本製』第6回〔佐賀県〕

 

🕊💖希望

林檎様、strawberry様

多々良焼の金子窯元さんは春馬さんが調べて選ばれた窯元なのですね。

独特な力強さがありますね。

林檎さんが載せて下さった、ファンシーローラさんのブログでも金子窯の近くの素敵な風景が癒されますね。

そしてstrawberryさんもお話してくれた老舗豆腐屋さんでは、唐津焼の器を楽しみながら豆腐コースを頂けるのですね。ぜひ立ち寄りたいです。

器を持って、ほぉ~と唸りそうな春馬さんの写真の表情が可愛らしい。(笑)

そして佐賀新聞の記事にもホッコリしました。

訪れる年齢層が50代の女性が多いという所も思わず納得してしまいました。

私も春馬さんが購入されたコーヒーカップと似た物が欲しいです。(笑)

春馬さんのインスタのお料理の器を見ても、しっかりとした拘りとセンスを感じます。

愛情を持って使っているのが伝わってきますよね。

若いのに丁寧な生き方をしていた春馬さんは本当に素敵な方ですね。

🍎林檎

希望様

ファンシーローラさんをはじめ、多分このコロナ禍とは言え多くの方が、春馬さんの足跡を辿り、金子窯さんにも訪れていらっしゃる事と思いますよね。

春馬さんは、私達に春馬さんの足跡を辿り、春馬さんを想うと言う壮大なプロジェクトを残して下さったのかなぁと思います。勿論、47都道府県全て廻りたいですが、果たして生涯で叶うかな?と思った時、不可能だと感じる方もいると思います。

そんな時は、春馬さんが良く言われていた想像力を働かせると言う言葉が頭に浮かびます。

今は、昔と違い、ネットがあり行きたい所を簡単に見たり調べたり出来ます。春馬さんが実際訪れた場所がお近くの方々は幸いです。

毎回感じるのですが、春馬さんは、こうして我々日本人に、日本の良さ、素晴らしさを思い出すようにと頑張ってこの本を作られたのだなぁと。深く読み込むとそれが凄く伝わるのです。

🕊💖希望

林檎様

林檎さんの文章を読んでいたら本当にその通りだと思って泣けてきました。彼はまるで自分がいなくなるのが解っていたか?のように、壮大なプロジェクトを私達に遺しましたね。(涙)

春馬さんの過去の映像などを見ると、美味しい物や美しい景色を見た時の感想として

頑張って生きてきて良かったぁ~。」とよく仰っていて、当時の私の感想は、『春馬さんそんな大袈裟な~。』と思っていましたが、失ってから思うのは、本当に一瞬一瞬を一生懸命に必死に生きていたのだろうということです。

林檎さんが仰るように、私達が47都道府県を全て巡るのは難しいと思いますが、今の時代は各地の映像も見ることが出来ますし、想像力を働かす事は人間にとって大事な事ですね。本当に春馬さんは凄い人です。「あなたの想いは皆に届いているよ!」と、言ってあげたいですね。

『日本製』が結ぶご縁
​佐賀の金子さん(金子窯)さんが熊本の天明堂さんを訪問 天明堂ブログ

🍓strawberry

林檎様、皆様

『日本製』で、春馬さんが取材で訪れた熊本県の天明堂さんと、佐賀県の金子窯さんとの素晴らしい交流をお知らせしました。春馬さんが繋いだご縁ですね。素晴らしいですね。

これを見て涙が出ました。

春馬さんが47都道府県を取材した職人さん達の交流の輪が広がる事は嬉しいですね。今後、どんどん広がるのではないかと思います。春馬さん、喜んでいますね。

🍎林檎

strawberry様 皆様

天明堂さんと、佐賀の金子窯さんとの交流のブログは素晴らしいですね。明らかに、春馬さんは『日本製』を通して、日本の方々を結びつけています。これは、春馬さんの偉業と言っても良い出来事です。

そして、これから更に広がりを見せて行く事に確信が持てます。春馬さんの、腕を後ろに回しお行儀良く足を揃えた写真。本当に彼のお人柄が現れていますよね。普段の様子にその方のお人柄って出るものです。とても自然体。それでいて素直で可愛らしい姿。

strawberryさん、いつも貴重なお話を探して、こちらにアップして下さり心からお礼申し上げます。

💐harumyu

林檎様

先日、九州の友人が「金子窯」を訪れた際のエピソードを紹介させて下さい。

友人の突然の訪問を笑顔で迎え入れた金子窯4代目晃久さん、春馬くんのことをいっぱい話して、写真もどうぞと撮らせてくれたそうです。

春馬くん取材当日、誰が来るか知らず仕事に出た奥様が後で知って悔しがったとか、3代目認さんが出した湿気たお菓子の話等は皆さんご存じと思いますが、在宅だったのに恥かしくて真面に顔も見ることができなかった当時20才の娘さん、

「春馬くんの食べ残しのお菓子を写真に撮った後で、食べちゃった!?」と聞いて、友人も私もビックリ!!

それはさておき、晃久さんは、「春馬くんが、有田でも、伊万里でも、波佐見でもなく、何故、多々良焼きを選んだのか、何故、山の中のぽつんと一軒家の金子窯まで来てくれたのか、佐賀のふるさと納税返礼品に出したり、佐賀市内のデパートには置いているけど東京には出していないし、今でも不思議で仕方がない。何か縁を感じるし、益々夫婦揃って春馬ファンになって…。」と、話が止まらず『日本製』(読み込んでボロボロだったそう)を指さし、「今は近場の大分サイダー泉そうめん、熊本天明堂等に通っているけど、コロナ終わったら皆さんみたいに夫婦で『日本製』巡りをしたい。」と、話されたそうです。

春馬くんの映画の話になり、友人が「(私のお薦め!)森の学校をまだ観ることが出来ていない。」と言うと、パンパンに膨らんだスクラップブックを出してきて、森の学校の映画パンフレット見せて下さったり、他にも春馬くん関連の記事や写真やパンフ等、色々挟んであって…。本当に春馬ファンだったよ。」と教えてくれました。何だか胸がいっぱいになり、その後スマホ写真で、美文字の春馬くんを先頭(右端)に、多分カメラマン京介さんの本名、プロデューサー納富さん、編集船田さんの順に記入された芳名帳を見て、今この3人の方々はどんな想いでいるのかと思ってしまいました。

あと友人に、春馬くんが金子窯後に行った、老舗「豆腐料理かわしま」の名前を出したら、「福岡の生協カタログで、川島のざる豆腐、湯豆腐等注文してよく食べているよ。」との返事、彼女には身近なお豆腐のようでした。

林檎さんがこの場所でずっと順を追って訪問先を辿ってくれていますが、金子窯さん

のように初期(5年前?)の訪問先の方々でさえ、今も尚、鮮やかな出会いとして春馬くんのことを多弁に語ってくれて、改めて『日本製』の出会いで春馬くんに魅了された人達が47都道府県に、いっぱいいるんだと確信しました。

🍎林檎

harumyu様

九州在住のご友人からの、とても貴重なお話が聞けて感激しています。

春馬さんが、画像検索していて見つけた〝壺〟に一目ぼれしたものが【金子窯】さんのものだったということですから。

金子窯さんと春馬さんの出会いは、恐らく運命的といっても良いものだったのでしょうね。当時20才で、恥ずかしくて、春馬さんの顔もよく見ることができなかった娘さんが、

春馬さんの食べ残しのお菓子を食べたというエピソードにはビックリ!!というくだりは楽しかったですし、『日本製』が読み込まれていてボロボロということも良く分かります。

同じ職人さんとして、日本全国の日本の文化や産業など、他の職人さんの話を知る事は興味深いことでしょうし、春馬さんの『日本製』は、エッセイ感覚で読める旅紀行とは違い、よく読み込んで漸く理解が深まるものなので、調べながら考えながら読み返すうちにボロボロになってしまいますね。

金子窯さんと熊本県の天明堂さんとの交流は、話題に上がっていましたが、金子窯さんは、大分県の白水鉱泉の炭酸そうめんも召し上がったのですね。何より、春馬さんの熱烈なファンとのこと。とても嬉しいですね。

また、ご友人は、老舗豆腐店のものを日常で手に入れることが出来るなんて羨ましい限りです。

春馬さんが残した『日本製』を巡る旅は、これからコロナが落ち着いたら、大勢の春馬さんファンが移動して巡ることでしょうね。harumyuさん、とても貴重なお話をお知らせ下さり有難うございました。

次回訪問先は、大分県の 

黒嶽荘です。

お楽しみに。

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