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板谷波山記念館
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美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty
三浦春馬さんと「日本製」と板谷波山

2022年12月、泉屋博古館東京の『生誕150年記念 板谷波山の陶芸』から。 
茨城県

​●番外編 再発見レポート 

     板谷波山​

いたや はざん(1872-1963)
文化勲章受章 茨城県名誉県民
近代日本の陶芸界 不世出の陶芸家

16 茨城県 - 17.JPG
撮影:harumayuさん 泉谷古館東京

 harumyuさんは、先日2022年12月、泉屋博古館東京の『生誕150年記念 板谷波山の陶芸』に行かれたとのことです。以下harumyuさんのコメントです。     

「波山氏の名前はかなり前から(茶道など個人的理由で)知っていましたが、春馬くんが、2020年5月5日付オリコンニュースに掲載されたインタビューで「茨城で誇れる人」として、 度々板谷波山の名前を挙げていたので、茨城の方だと知りました。

 更に作品について、20代半ば?後半?の春馬くんが、具体的に「アール・ヌーボーを取り入れ 芸術性を高め~」とか、「光を閉じ込める 幻想的な~」とか表現していて洞察力や表現力がすごい!と、改めて春馬くんに惹かれ、波山氏に興味が深まり、ホームページを覗いたりしました。

 茨城巡りの春活にも「板谷波山記念館」を入れていた私ですが、実現せず、今回 東京の博古館に行った次第です。春馬くんが惚れ込むのも納得というか、作品はもちろん、人としても素晴らしいのです。」 

三浦春馬さんと「日本製」と板谷波山
         

★まず、板谷波山さんについて、簡単にご紹介します。

板谷波山記念館

1872年(明治5年)生まれ

 茨城県真壁郡下館町(現、筑西市)に 生まれる。

本名嘉七。生家は醤油醸造業の傍ら雑貨を商う旧家。

1885年(明治18)13歳

 このころ、陶器に興味を抱き筑波山麓の窯を尋ねるが、廃窯、陶工から作品を見せられる。水戸、真岡へ丁稚奉公に出されるが、いずれも1週間と続かず家に戻る。

★1885年(明治18年)9月25日に、五代友厚氏ご逝去

1888年(明治21)年 16歳
 陸軍士官学校受験、体格検査不合格で軍人志望断念。

本郷の下宿付近の洋画家河久保正名の画塾に通う。

1889年(明治22)17歳
 東京美術学校(現、東京藝術大学)彫刻科入学。岡倉天心、高村光雲らに学ぶ。生涯の友・新納忠之介(国宝彫刻修理の第一人者)と出会う。

その後の数多くの活動の詳細は、こちらからご確認ください。板谷波山記念館

美的なるものを求めて
Pursuit For Eternal Beauty
「葆光彩磁珍果文花瓶」(ほこうさいじ ちんかもん かびん

国の重要文化財(平成14年認定)

泉屋博古館東京

『生誕150年記念 板谷波山の陶芸』

2022年11月〜12月18日開催

展示会場の写真に書かれている、

―「私の仕事場」という文章より―

「自分の制作について、私は何から何まで自分自身でやらないと気が済まない。

窯に火を入れることも私自身でする。薪を燃やす時の楽しさは、また格別である。

私は幼少の頃から、火を起こすことが好きであった。

私は、他の世の中のことは何も考えないで、土をいじり、窯を燃やしていたい。

これが私の志願だ。楽しさは自ずとその中にある。」

撮影:harumyuさん

序章 ようこそ、波山芸術の世界へ

「波山の陶芸は東洋の古陶磁がもつ洗練された造形を骨格として、そこに19世紀の西欧のアールヌーヴォースタイル、つまり優雅で官能的な東西の工芸様式を見事に融合させたところにあるだろう。」

という文章が書かれているようです。

★harumyuさんは、訪れた泉屋博古館東京の『生誕150年記念 板谷波山の陶芸』展で、板谷氏の数々のエピソードを知り、春馬さんとの共通点を見出したそうです。

 

①故郷の茨城県を愛し、温かいお人柄

名前の波山は、筑波山に因んで号したと言われていますし、上京して田端に居を構えたのも、当時「庭から筑波山が見えたから」即決したそうです。

板谷氏は23歳の時に、まるさんという方と結婚されています。

お二人は愛情深いご家庭を作り、子供の名まえは花の名まえをつけるなど、花、鳥、犬など、身近な生き物を大切にしていました。当時ご本人が書かれた絵を見ると、とても素朴なお人柄が伝わるそうです。

そして、小さな孫への絵手紙なども展示されていて、飼い犬の絵に「ポチモゲンキデス」「アソビニキテクダサイ」とカタカナの文が添えられ、微笑ましい日常が垣間見えました。

また、年表でもご紹介しましたが、61才の時に、郷里の高齢者に鳩杖を制作し寄贈、1951年まで続行、総数281点。

更に、66才の頃、下館市の271人の日中戦争のご遺族に小さな白い観音像を作り、後にお金に替えられる桐の箱に入れて贈ったとのこと。

②芸術家として、納得できない作品は残さないというエピソードも。

35才の時に地震で多くの作品にヒビが入り、修復すれば何とかなると言う周りの声に耳を貸さず、まるさんが保存していたものまで「自分が納得した完璧なものしか駄目だ。」と、バラバラに壊してしまったそうです。

また、独自のアーテイストとして終生貫きました。子供達には後を継ぐことは望まず、また、弟子もとってはいません。

波山氏が38才の時、轆轤師(ろくろし)の深海三次郎が波山の元を去り、石川県小松出身の現田市松が後任として轆轤を担当、終生助手を務めます。

その彼は、交通事故で78才の時に亡くなるのですが、同じ年に波山氏も91才で病死します。生涯作品を生み出す相棒としての強い絆が感じられるエピソードです。

また、81才で、文化勲章を授与されます。

そして88才の時、重要無形文化財保持者(人間国宝)に推挙されますが、「わざ」の伝承が目的である人間国宝に自分は相応しくない(後継ぎを育てていない)と、辞退したそうです。

どことなく、頑固で意志が強く、それでいて、温かくチャーミングなお人柄、さらに利他的で謙虚という、独自の考えを持つアーテイストという部分にも、春馬くんとの共通点を感じるのです。                  【harumyuさん談】

春馬さんは、2013年に映画【永遠のゼロ】に出演されていますが、ロケ地である筑波海軍航空記念館にも当然足を運んでいますよね。板谷波山記念館とは車で36分くらいの距離。

永遠のゼロは、23才の頃の作品ですから、果たしていつの頃より、板谷波山記念館への興味が湧いたのでしょうか?

+act『日本製』の連載が始まったのが、25才ですから、24歳ころより関心をもっていたかもしれませんね。もっと前かもしれないですし、後に秋田県の裏・日本製の中でも、板谷波山氏の話題に触れていますので、間違いなく度々訪れていたように思いますね。

『日本製』第二弾があったなら、間違いなく取り上げたことでしょう。

この度は、harumyuさんのお陰で、貴重なお話をお伺いし、春馬さんと板谷波山氏との共通点を知ることが出来、更に教養も深まりました。心よりお礼申し上げます。                             by 🍎林檎

茨城県陶芸美術館 企画展「ガレの陶芸」と板谷波山常設展示

筑西歳時記~茨城県筑西市(旧下館市と関城・明野・協和町)

陶芸美術館は、平成12年に開館した茨城県の陶芸文化の拠点。ここには、臣(しん)さんが住む、茨城県筑西市出身の陶芸家・板谷波山先生(陶芸家として初の文化勲章受章者・茨城県名誉県民)の作品が、常設展示されているとのことです。

撮影:harumyuさん

葆光彩磁紫陽花文花瓶

(ほこうさいじあじさいもんかびん) 

ちなみにこの紫陽花文花瓶は、平成30年4月、開運!なんでも鑑定団 」に、登場した作品(番組での査定額は7千万円!)で、その後、陶芸美術館に寄託されたものだそうです。

                  by 🍎林檎

次回訪問先は、栃木県の

足利学校です。

お楽しみに。

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