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【対談・考察】

🍎林檎

+act 2018年5月号掲載 【カネダイにみる地元産業の誇り】

~復興の逞しさを垣間見た。~

「北西太平洋漁場」「北東大西洋漁場」「北西大西洋漁場」が世界三大漁場と呼ばれています。正に、気仙沼港は、「北西太平洋漁場」にあたります。そのような重要な場所が被災したのですね。この度の取材は、2011年3月11日東日本大震災後の復興の様子を教えて頂くのがテーマになっています。こちらの取材は、2017年の暮れ頃と、以前推測しました。

カネダイ本社工場は2017年3月に竣工したばかりとのこと。水産会社で、漁業と水産加工・問屋業が主な仕事。インド洋でマグロを、アフリカのナミビア国の沖合で【まるずわいがに】を取っているとのこと。

ナミビア国とは、南アフリカのすぐ上に位置する国で、南大西洋に面しています。約40年ほど前にナミビアの漁場を開拓し、そこで獲れる『まるずわいがに』というカニなどの加工・販売業が主軸になっているとのこと。本社工場と大小合わせて15か所の事業所が全て津波で流されたとのこと。

代表取締役専務の佐藤さんは、その時、避難した高台で全て目撃していたとの事。その時の心中を想うと、いたたまれない気持ちになります。

2011年の年末から、「かに物語」というオリジナルブランドを作られたというのですから、凄いエネルギーと情熱です。幻の蟹 Deep Sea Red Crab 専門店 | かに物語を関連URLよりご覧下さい。

また、震災の三か月後には気仙沼で、カツオの初の水揚げをしたとのこと。それも、カツオ水揚げ日本一をキープし続けているという。また、ふかひれの生産は日本一とのこと。

皆さんのバイタリティの凄さには、ただただ驚きの連続ですね。

春馬さんは当時、ドラマ「大切なことはすべて君が教えてくれた」の撮影中だった時の様子を語っています。「被災地が大変な時でも撮影は続くわけで、座長「主演」としての役割をしっかり考えながら、このような状況で、エンタメの仕事の価値を考えたり、でも、みんなを導くという教師役だったから、周りのみんなに助けられて、乗り越えられたのでは?」と、感想を述べていますね。

確か別番組で、「電話越しに実家の母親は気が動転し泣いていたので、この時は帰らなくてはと思った」というような話がありましたね。

当時、災害の様子は、映像だけの世界でもショックはもの凄いものでした。実は、我が家の息子は、その時仙台で被災しまして、その後しばらくは、通常の感覚に戻るまでしばし時間が必要でした。皆さんは、どのようにお過ごしでしたか?

カネダイの皆様は、ご家族が無事だったこともあり、同じ目標を持つ仲間がいるということで何とか皆で乗り切れたとのことですね。

色々ネットを検索していたら【マチリクin気仙沼】とか【Let`s!!キラリク】という東北で始まった取り組みが、全国に輪を広げつつあるようです。

マチぐるみで採用し、人を育てる、新しい採用活動のカタチ★アイディアもさることながら、復興に向けた取り組みから生まれた大きなエネルギーを感じることができ、日本人って、凄い!と思いました。

残念ながら、以前の【マチリクin気仙沼】というサイトは現在使われていないようです。【マチリク】のサイトを掲載します。(2023年5月現在)

-columnでの春馬さんの言葉も良いですね。

言葉にしなくても心で手を取り合っていたような、そんな瞬間を東北の人達は生きて来たんだなということを強く感じた。」

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💖希望

林檎様、皆様

宮城県気仙沼カネダイさんの感想を有り難うございました。忘れもしない2011年3月11日あの日からもう10年の歳月が流れたのですね。(2022年のコメント)

私は神奈川県にいましたが、雨が降り一段と寒い日でした。神奈川県もかなり揺れましたが、私は阪神淡路大震災を経験していたので、その時の体験から咄嗟にこれは海沿いなど相当な被害が出るのでは?と直感しました。

林檎さんのご子息は仙台にて被災されたのですね。さぞかしご心配だった事でしょう。

カネダイさんの佐藤専務のお話で『高台に避難して後ろを見たら、もう全部がぐちゃぐちゃになっていて』、佐藤さんが見た景色って、きっと一生忘れないと思うんですよね。

そこから間もなくオリジナルブランドの【かに物語】をスタートさせたのですね。本当に凄いですね。かに物語のサイトを拝見したら何て贅沢で美味しそうなのでしょうか!!これは、お取り寄せしてみたいです!

マチリクの取り組みも震災を経験したからこそで素晴らしいと思いました。日本人は、いつの時代も苦難を乗り越えて行く度に学び強くなっていく民族だと思いました。

地元民が厳選 気仙沼のおすすめ観光スポット15選 自然豊かなみどころから人気のグルメスポットまでという関連URLをご覧ください。

春馬さんがカネダイさんの取材の帰りに立ち寄った気仙沼観光施設の【海の市】も載っています。ここでお土産を購入されたんですね。この中に日本で唯一のサメの博物館もあるそうです。

美味しい物と美しい自然を体験出来そうな宮城県気仙沼!!ここもいつか行ってみたい場所になりました。

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🍎林檎

希望様 皆様

地元民が厳選 気仙沼のおすすめ観光スポット15選を拝見しました。気仙沼の魅力がタップリのスポットばかりで、2011年から10年で、素晴らしい復興を遂げていることに、東北の方々の逞しさと忍耐力の凄さが実感でき、勇気を頂きました。まず、気仙沼市がサメの水揚高日本一ということも初めて知りました。

また、リアス式海岸の「折石」が現在高さ16メートル、幅3メートルで、1896年の三陸大津波で、2メートルも折れたことから「折石」と命名。それが、東日本大震災では無事だったということの喜び。三陸復興公園という名前にも感銘し、龍の松と新月の夜の満点の星空の写真に思わず、沢山の無念を抱えた方々の想いを感じたり。

2020年7月にopenした複合施設『ないわん』のネーミング。

「迎(ムカエル)」「結(ユワエル)」「拓(ヒラケル)」「創(ウマレル)」に、復興の想いを感じて、何だか祈るような気持ちも込められているようで、涙が出そうになりました。と、同時に日本語の美しさ「漢字・カタカナの使い分け」に余情、余韻を感じ、改めて日本人で良かったと思いました。

最近読んでいる本『日本の感性と東洋の叡智』中村順一氏著の中にも、日本語にしか出せない余韻というくだりがありました。リアス・アーク美術館は、「東日本大震災の記録と津波の災害史」の資料展示を2013年以降行っているとか。

また、K-portは、渡辺謙さんが復興目的でプロデュースしたレストランとか、春馬さんも、後に恐らく何か活動されたことを想像させる取り組みですね。「オリジナル海老ダシカレー」が人気とか。クックパッドに簡単に作れるレシピがありましたので、作ってみたくなりました。参考まで、関連URLからご覧ください。希望さん、有難うございました。

最後に、徳仙丈山の大規模なツツジが観たくて。

🍓strawberry

 林檎様、希望様、皆様

宮城県[カネダイに見る地元産業の誇り]の感想や情報をありがとうございました。

私は阪神淡路大震災の時は奈良で、東日本大震災の時は三重にいましたが、ニュースでの映像に衝撃を受けました。林檎さんのご子息は仙台で被災されたのですね。色々と大変だったことでしょう。私の地元の友人も仙台出身なので家族の事をとても心配をして、無事であったので安堵したことを思い出します。

カネダイさんは、大変な中、皆さんで力を合わせて「かに物語」というオリジナルブランドを始められましたが、皆さんの行動力、たくましさは、本当に素晴らしいです。春馬さんの『日本製』のお陰でカネダイさんのことを知り、貴重なお話を聞けて感謝致します。

かに物語のサイト中で、2020年の7月を4回春馬さんの『日本製』繋がりで掲載されていますね。

7月3日は、春馬さんが日本製の取材に訪れた時に、あまりのカッコ良さにみんなテンションがあがりました。(特に女性社員は仕事も手につかない状況でした)とあります。

7月13日は、「世界一受けたい授業」の番組でカネダイさんが紹介されたことについて

7月16日は、「世界一受けたい授業」の番組の内容を抜粋して紹介しています。

7月20日は、追悼をされています。カネダイさんの想いを読んで泣けてきました。

春馬さんが『日本製』の取材をされた場所がメディアで紹介されたりすることは嬉しいですね。春馬さんもきっと喜んだことでしょう。

春馬さんが、カネダイさんで試食されたビスク(スープ)など、美味しそうな物がたくさんあるのでお取り寄せしたいです。

裏・日本製に春馬さんが、イベントについてのアイディアの話がありましたね。春馬さんは、本当に様々な事を考えていて素晴らしいですね。

マチリクの取り組みを拝見しました。ありがとうございます。素晴らしいですね。気仙沼の観光情報をありがとうございます。魅力的な場所がたくさんあり、ぜひ訪れてみたいです。

「みらい造船」についての話があり、その後が気になりました。みらい造船のサイトがあり、活動などが分かります。Facebookに嬉しい情報もあります。ご覧ください。

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🍎林檎

strawberry様 皆様

『かに物語 お知らせ』7月20日付けの追悼文を読みました。何だか、未だに現実の事と思えない自分がいます。それほど、映像や書物の中での春馬さんと現実世界とが、乖離しているように感じてしまうのは私だけでしょうか?今日、岩手県を調べていて、やはり追悼文を見つけました。近いうちにご紹介します。

こうしてみると、春馬さんの訃報は『日本製』の取材もあり、日本全国の皆様が一様にショックを覚え、未だに受け入れられずにいるように思います。

また、【みらい造船】の動画を観て感動しました。欧米では既に200か所以上、国内では3例目という、シップリフトの説明アニメはとても分かり易く、従来の斜路式より効率的で優れたものだということが一目でわかりました。それでも、まだ完全に復興したとは言えないとの事で、災害の大きさを改めて感じました。

希望様 Yokoharuma様 strawberry様 皆様

我が家の息子は、あの日仙台空港へ降り立ち、電車で移動、正確には山形のホテルに落ち着いたところで被災しました。直後に、仙台空港は閉鎖。乗っていた電車の後続の電車は、トンネルにぶつかって?停車状態。と、するりとくぐりぬけた状況ではありましたが、その後、コンビナート火災、福島原発事故と、全く身動きが取れない状態になり、真っ暗闇の中情報が分からず、余震におびえて一睡もできなく這う這うの体で、何とか札幌の自宅へ戻ることが出来ました。帰宅後、本来の精神状態に戻るまで日数を要しました。

山形のホテルでは、炊き出しでの塩おむすびがとても美味しかったし、従業員の皆さんが親切だったと話していました。東北の多くの被災された方々とは比較できない軽い出来事かも知れませんが、本人曰く、人生観が変わったと話しています。それから、常に感謝の言葉を口にするようになりました。とまあ、もう10年前にもなるのですね。すみません。長々と私事を書き連ねてしまいました。

図らずも、山形県は次の記事でしたね。山形県は、あの時は震災の影響で、正に〝陸の孤島〟でしたよ。交通網が断たれていたので、息子は何とか日本海側方面から帰路に着きました。これらの文章で、仮に不快な想いをされた方がいらっしゃいましたら、どうぞお許しください。本当に、東北の方々のあの時の想いは軽々しく言葉にはできません。

strawberryさん、【みらい造船】の動画を有難うございました。

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🍓strawberry

林檎様

林檎さんのご子息は、本当に大変な経験をされたのですね。心中お察し致します。当時の仙台空港の映像を見て衝撃を受けたことを思い出します。山形での塩むすびのお話、感動しました。大変な時に人の温かい心に触れると心に響きますね。日本人の助け合いの精神は素晴らしいですね。

私も、海に近い場所に住んでいるので色々と思うことがありました。あの日を境に改めて毎日、無事に過ごせることの有難さや、1日1日を大切にしていくこと、防災に対しての意識を持つことなど様々な事を考える機会になりました。林檎さん、当時の貴重なお話をしてくださりありがとうございました。被災地に沢山の方が、ボランティアに行かれていましたね。

ボランティアにも色々な活動がありますね。春馬さんが、ボランティアに行かれた話を紹介させて頂きます。

「三浦春馬氏の泣ける謙虚エピソード!超有名だったのに常に謙虚だった」

ボランティア活動の場にて

春馬さんが気仙沼市唐桑町にボランティアに行かれた時の話の記事があります。春馬さんの人柄がよく分かります。昨年の7月に掲載されているようです。

2011年10月26日に、気仙沼の唐桑体育館にチームアミューズでボランティアに行かれた時の話があるブログを紹介させて頂きます。

関連URLより「チームアミューズが来てくれた!」をご覧ください。

三浦春馬さん、渡部秀さん、風間由次郎さんが「思い出は流れない写真救済プロジェクト」のボランティア活動されたようです。その時のお話が詳しくあります。当時の事が分かり貴重ですね。

石巻にも2011年10月に春馬さんは、チームアミューズでボランティアに行かれています。

当時の写真があります。

春馬さんたちが、ボランティアで訪れた先の皆さんは喜ばれたことでしょうね。春馬さんもボランティアをすることで様々な事を感じたことでしょう。このような経験から『日本製』の宮城県のカネダイさんに繋がっていくのかもしれませんね。

ngo-ed   活動記録

🍎林檎

strawberry様

ボランティア参加の春馬さんの貴重なエピソードを有難うございます。やはり、ボランティアへ行かれていたのですね。カエル塾の馬場さんの「知らない顔だな。もっと有名になるように頑張るんだぞ。」というくだりで、思わずクスっと笑ってしまいました。

若い方世代中心に、既に超有名だった春馬さん。当時55才だった馬場さんは男性でもあるし、知らなくても仕方がありませんよね。謙虚な好青年。年齢より大人びて見える。いろいろな経験してきたんだと思う。と言う、当時を振り返る馬場さんの言葉に泣けますね。

紀子さん?と一緒の写真も貴重なものですね。

春馬さんにとって、『日本製』の東北の取材は、いつもとはまた違った一種の緊張感のような感情(襟を正すというか)があったのでは?と感じます。strawberryさん、知らないエピソードを教えて下さりなんと有難いことか。『日本製』考察に、ほっこりする風を送って下さり感謝します。

ngo-ed   活動記録

🍓strawberry

林檎様

春馬さんのボランティアについての話は、春馬さんが炊き出しをされていたという情報から、色々と調べていたらいくつかの春馬さんのボランティアに関する情報にたどり着きました。

炊き出しのボランティアについては、いつ、春馬さんが行かれたかはわかりません。チームアミューズで行かれたのか、プライベートで行かれたのでしょうか?

林檎さんの『日本製』のコーナーのおかげで、『日本製』の取材先については勿論ですが、その他、春馬さんが訪れたお店など調べていると、「春馬さんの軌跡をたどる旅」をしている感じがします。まだまだ知らないエピソードが沢山あると思いますので、今後も色々と「春馬さんの軌跡をたどる旅」をしていきたいです。

チームアミューズが来てくれた!」のブログで、2011年10月26日に気仙沼の唐桑にボランティアに行かれた時に、昼食は「まるさん」に行かれたとありましたが、カツオなど美味しい物を堪能されたことでしょうね。何を頼まれたか気になりますね。

「思い出は流されない写真救済プロジェクト」のボランティア活動をされた時の写真が新たに見つかりましたので、ブログを紹介させて頂きます。春馬さんたちが活動された内容も分かります。素晴らしい活動ですね。

松戸市議会議員関根ジロー公式ブログを関連URLでご覧ください。

Googleマップ

🕊💖希望

林檎様、strawberry様

strawberryさん、気仙沼のカネダイさんの追加記事と春馬さんのボランティア情報も有り難うございました。後から後から、春馬さんの素晴らしいエピソードが出てきて、困った人々を助けたい、救いたいという慈愛の精神には感服します。

林檎さんのご子息が体験した事も、当時はショックも大きかったとは思いますが、決して無駄な経験ではなく人生観が変わる程に大きな出来事でしたね。

私も阪神淡路大震災を経験して、前日まで言葉を交わしていた職場のスタッフが数多く亡くなり人生観が一変しました。1日1日を大切に生きる事、感謝の心を持つ事を心掛けるようになりました。

『日本製』を巡っていくと、本当に沢山の学びがありますね。人間は日々に追われていると、過ぎた事を忘れがちですが、改めて震災の怖さ、そして日々の備えなどを思い出すきっかけになりました。いつも林檎さんとstrawberryさんには色んな情報を教えて頂いて感謝しています。これからもどうぞ宜しくお願い致します。

🍎林檎

希望様 皆様

阪神淡路大震災の時に、そんな辛い思いをされたのですね。体験したものでなければわからないとは、正にこういうことを言うのでしょうか。でも、幸い私たちには、想像する力があります。

ここで、羽生結弦選手に関して語らせて頂くとすると、仙台での被災体験なくして、あの拘りの演技や技術を磨くための努力を惜しまぬ姿勢は果たして生まれたか?

本来の才能と周りによる支えで、それらは生まれていたかもしれませんが、あれほどの強さ(偉業達成)の原動力は、人生観が変わるほどの体験を通して生まれたものでは?と感じていました。

そして、スケートが出来るという感謝の気持ちを常に持ちながら。春馬さんも、いつも感謝の気持ちを前面に出しながら生活されていましたね。私達も、春馬さんという素晴らしい俳優さんを亡くしてから、人生観が変わるほどの気づきを頂きましたね。

strawberry様

追加の春馬さんの写真を有難うございました。やはり、ひと際、春馬さんは目立ちますね。

次回訪問先は、山形県

米沢牛の畜産農家を訪ねて です。

お楽しみに。

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